ふと気づいたこと

仕込みで海老の殻を延々むいていたら、ふとあることに気づいた。やってあげてる感のあることって危険だということに。特に仕事でのそれは危なさ極まりない。気づいてからは背筋が凍った。今まで働いてきた会社でわたし、危険を冒してたんじゃないか。

誰かのためにと思ってしていることの先に、見返りを求めることと、求めないことの二種類があるように思う。求める見返りは対価はもちろんのこと、かけてほしい言葉だったり、対応も含められる。”やってあげてる”というのは、完全に見返りを要求しているのだ。その要求がちらちら見え始めると、すごく嫌な気持ちになる。(ならない人もいるかもしれない)

誰かのためにと思ってやっていることも、元をたどれば自分がやりたくてやってることだ。あの人が喜びそうだから◯◯してあげたいと思って行動をして、結果喜んでもらえなかったとしても、喜びを強要してはだめだ。だって自分が喜んでもらえるかもしれないからやりたい、と思っての行動なのだから。行動や感情を要求するのは彼氏彼女や家族くらいまでにとどめておいた方がいい。「好きって言ってくれなくちゃやだ!」とプンプンするのは仕事や社会ではご法度である。

これまで勤めた会社でわたしはどうだっただろう。きっと見返りを求めた行動をしていただろう。あーー背中がぞわぞわするよ〜。こんなふうに評価してほしい、こんな言葉で褒めてほしい、必要だと言ってもらいたい。そんな欲求があったと思うし、見え隠れしていたのではないだろうか。歴代の上司の皆様、こんなわたしでごめんなさい。今気づきました、陳謝。

必要だと思ってもらいたいのならば、行動で示すしかない。相手からその言葉を誘導しようとする行為は馬鹿らしい。必要だと感じるのは相手なのだし、誘導してしまえばその場しのぎの言葉に安堵することになる。もし対価が見合ってないと感じるのであれば、今どのような評価が自分に降っているのか、客観的に話を聞くことをオススメする。そして見合う対価になるために何をすべきかを明確にして、ギャップを粛々と埋めるしかない。また、対価が見合わない、正当な評価をしてもらえない、客観的な意見を聞いただけど受け入れられない、と感じるのであれば、その会社のルールと自分の価値観があっていないので、転職をした方が良い。自己評価は自分の中で完結させ、相手に同意を求めてはいけない。

and CURRYを始めて少なからずいろんな人に関わってもらって、働いてもらっている。友だちや知人ばかりでまわせているのは、本当にありがたいことだし、大切な時間をand CURRYに費やしてもらってることに申し訳ない気持ちすら感じるほど、感謝してる。だからこそ気持ちよく働いてもらえるように、やってもらったことへの対価を支払い、感謝を伝えたいと思う。そしてお客様には美味しいと思ってもらいたいけれど、それは強要することではなく、また来てくださったり、誰かに美味しかったと話して口コミが広がったり、本を買ってくださったり・・・結果にそれが現れることこそがわたしが日々、海老の殻をむいたり、玉ねぎを切ったり、カレーを作っていることへの評価なのだ。