20180808

片付けしながら、村上春樹さんの村上RADIOを聴いた。作品は読んだことがある、写真も見たことがある、でも声は聞いたことがない。そんな彼の声を聞けるまたとないチャンスである。

村上さんの声はどんなだろう。例えばダンディーな細野晴臣のように渋い声かなぁ。はたまたエリッククラプトンのような優しく甘い声かもしれない。誰かの声を想像するのは初めてだ。

実際に聞いた声は思っていたよりも瑞々しく、そして凛々しい声だった。低く聞き取りやすい。こんな声なのだなぁ。こんな声の人が、あの物語を紡いだのだなぁ。不思議な感じがした。

番組は村上春樹がジョギングをしているときに聴いている曲を紹介することがほとんどだった。彼の作品にはたくさんの音楽が出て来る。音楽をもとに小説を書いていると言っていた。納得できる。彼の作品を読みやすいという人が多いということは、音楽を元に書いているからかもしれないと、番組内で発言されていた。

作品に出て来る音楽はできるだけ、探して聴くようにしている。もっと作品の中に入り込める。


これまで読んだのは、『やがて哀しき外国語』『海辺のカフカ』(10年以上前に読んだのであんまり覚えてない)、『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『騎士団長殺し』ですかね。今は並行して『ノルウェイの森』『風の歌を聴け』を読んでいる。どれも読みやすいか、と聞かれるとノーともイエスとも言える。表面的に読むのは読みやすい、けれどその中に隠された比喩や暗喩やらを読み解くことは難しすぎる。読み解かなくてもいいのかもしれない。自分をその作品の誰かに投影したり、伏線が回収されていく様を楽しむための作品ではないと思う。もっと心の奥深くの、玉ねぎを剥いていって、最後に残る芯の部分に切り込みを入れられるような、そういう痛みの伴う作品な気がする。あくまで。気がする。わたしはね。